「お前は何なんだ?」

ふと同居している男に冷たく問いを投げられる
何だとは何だ、とその真意を聞くつもりで問い返そうと顔を上げたと同時に、ベッドに寝転がってスマホをいじっていた自分の脚を、不意に付け根の辺りから持ち上げられて肌が栗立った
先程まで自分の椅子で座って小説を読んでいた男は、気が付けば自分の近くまでにじり寄り自分の肢体の一つを掴んでいる
しかも、大分際どい、位置が

「な、」
「ただアニメを描くだけなら筋肉などいらんだろう。何でこんなに鍛えている」

男に無遠慮に太腿をむにむにと骨ばった手で揉むように触接され、それだけなら未だしも軽く片足を上げて開脚させられる体勢で、且つそんな事をされたら
ショートパンツを履いている手前、顔が熱

「――お、ま、」
ええええ、と赤面に叫びながら掴まれていないもう片方の足ではらわた目掛けて思い切り蹴り付ける

——だがそれをガ、と容易に片掌で掴み返され、妨げられた
「――ほら、並みの筋力じゃあ無い。普通の男ならこれを受け止めようとするなら捻挫くらいはする。無論女もだが」
「何悠々と――、」

そして、両足を不安定に浮かせ、この男に拘束されている状態に我に返るとがっと身体が熱くなる
仮にこのまま乗り上げられてしまったら、中学生並みの体躯しか無い自分はろくな抵抗も出来なくなってしまう、一瞬脳裏に望んでは居ない嫌な——が、心の何処かで期待してしまっているような、そんな映像が過った

「は、は、離せよお」
「……何をそんなにその気になっている。言っておくが俺が人徳の無い男なのでは無く、お前が余りにも男に対して貞操観念が無いんだぞ?」

動揺から僅かに震えたか細い声に対して、男はあざ笑う——からかうような笑みを浮かべながら、ずるずるとベッドの上から彼女を引き摺って引き寄せる
や、やめて、と落ちないように布団を掴むが虚しくもそのまま脚を持ち上げられぶらりんと重力に逆らう向きにされる。うわあ、うわあ!と焦った声でべしべし相手の足を叩くが、男はクククと喉から笑いを零してそれを楽しげに見ていた
が——ふと、小さく どこか寂しげな笑みを彼は一つ浮かべた

「——いや、俺が人徳が無い男では無い、は撤回しよう。……言えた口では無かったな」

ふ、と彼を見ると、彼女は抵抗の騒がしい挙動を止めて逆さまに映っている景色を見上げる
そのまま静かにカーペットに下ろされ、体勢を持ち直して彼を見上げれば既に彼は背中を向けて窓の方へ視線を向けていた

——その言葉に感じた感情は。彼が淫らな男性では無いのだ、というそれ呑みではなく
もっと、深刻で緊迫した事情があって、彼女も思わず言葉を吞み込んでしまったのであった



昼間の空は明るく、優しい風が木々を揺らして居るのだろう

雰囲気を変えようとしたのか、雰囲気を気にせず口火を切ったのか。彼女はむす、とした表情で頬を膨らませると細っこい脚を交差させ、胡座を掻いて手を付く

「……あと、アニメじゃないってば。まんが。"漫画"だってば」
「ああ、言っていたなそんな事……。余り興味が無い故にまた忘れてしまっていた」
「アニメはいっぱい絵を描いて絵が動いているように見せるもので、漫画はコマの中に静止してる絵を描いて、物語とか移り変わりを見せるもの。イラストは一枚の絵。みんな全然違うんだから」

「………お前が夢中になっている漫画、は、お前が本当に好きなものなんだな。分かるよ」

男は無造作に束ねているやや長く垂れている髪を揺らしながら、振り返る
その顔は彼女が見慣れた、彼の無表情。何を考えているのか分からないが——どこか柔らかく感じる顔で。彼はそのまま、元は彼女が陣取っていたベッドに腰掛けた
遅れて、にこ!と嬉しそうな笑顔を向ける

「だいすきだよ。締め切りはだいきらいだけどね」
「だが、ちゃあんと締め切りを守っているから"漫画家"で居られているんだろう?立派な事だ。…そんな立派な漫画家さんなのに、俺はその作家名すら知らないとは」
「カワイソウに。こんなに近くに居て、しかも原稿を描く姿だって見ているのに…私が誰かも分からないナンテぇ」
「教えてくれれば良いだろう」
「教えないよ。教えない」

少女は立ち上がると、男の隣に腰掛ける
もふもふと柔らかい布団が彼女の重みに合わせて形を変えると、手元から離れていたスマホを同じように埋もれさせていた布団の中から救出し、いじり始めた

「携帯をいじりっぱなしにしていると目が悪くなるぞ。女」
「でも仕事だもの。ちゃんと仕事してるんだよ?僕は、これでも」

スマホの画面を彼に向けて近付ける。自分が撮った森の写真を見せようとしての行為だったのだが、入れ違いに彼が自分へぐいっと近付き、そのまま唇を奪われた感触に目を見開いた

「さっきの今でベッドの上で、こんなに近く隣に座るお前の神経が心配だ。終いには本当に抱くぞ」

「——————っっっっ」



この男女は、"互いの名前を知らない"

何故なら"互いに名乗らないからだ"




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ちゃんシリーズ
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